sadadadの読書日記

読書した本のまとめ、読後所感、考えたこと



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あえてスピードを出さない人の思考過程

現代は効率を追い求め「スピード」がやたらに求められる時代です。スケジュールは無限にタイトになり、短時間睡眠、速読、ファーストフード、ファーストファッション等々が持て囃されています。息をつく暇もなければ疲労から判断力は鈍り、追い立てられれば焦りから視野は狭くなります。忙しすぎれば文字通り心が亡くなります。スピードはあっても無駄に時間を浪費しては意味がありません。そんな、状態において考えるべきことは、意図的にスピードを落とすことなのです。

夢をかなえるゾウ

夢をかなえるゾウ

1 スピードは諸刃の剣

以前のエントリー『速さはすべてに勝る はてなブックマーク - 速さはすべてに勝る - 速さを身に着けるための5つのルール - 読んだものまとめブログ』では、スピードを追い求め続ければ絶対量が増えると綴りましたが、その絶対量に見合うの自分が追いつかなくなる可能性は指摘していませんでした。ハイスピードの状態が続けば追いかけるだけで精一杯になり、自分が吸収できる量を超えてしまえばすべてが消化不良を起こしてしまいます。消化できる力というのは必ず存在しており、その力を把握することなしには適切な形で身につかないことも多いのだと思います。昔学んだことが今になって分かるということは、今になって消化できる力が備わった好例です。

2 速さは常に相対的

自分が早すぎれば周りにもスピードを強要せざるを得ません。自分だけが早くても周りの人が追いついてこなければ結局待つ羽目になります。そうなれば自分のスピードについて行けないに対して『片づかない』気持ちが溜まり始めます。イライラは募り、解消するために周囲の遅さを補ったり、事前に無駄になるかもしれない事前作業をする事になれば、スピードが足枷になり始めます。何でも自分が背負い込み、処理していく過程では、誰も信用せずに『こうでなければならない』といった固定観念に陥りやすくなります。固定観念は絶対化を生み、周囲からの反発を生み、孤立化の道を歩みます。結局、したいこともできなくなれば本末転倒です。スピードは視野が狭くなるリスクを常に持っています。自分に見合わないハイスピードは、見えるものも見えなくさせ、大切なものを見落としたりさせるのです。

3 ゆっくり歩くことで見つかるもの

時間の浪費とスローペースとは違います。判断することなしにウロウロしたり、怠慢するためにダラダラしたりするのは単なる時間の浪費であり、時間の無駄です。一方で、あえてスローペースにすることに意図が存在すれば、それは時間の浪費にはなりません。つまり、ゆっくりやることには意図が必要なのです。意図もなしにゆっくりすれば、それはただの浪費になるのです。

  • スローペースにする意図

1 ミスを高いレベルで予防する
2 問題を深く掘り下げ、多方面から分析する
3 認識を一致させるため周囲と足並みを揃える
4 ・・・・

4 スピードを出す意義を考えると適切なスピードが見えてくる

スピードが出せずにイライラするのは何かしなければならないという焦りからくる『自分の気持が片づかない』状態です。自分の気持ちは自分で片付けることが出来るはずです。周囲の遅さを時間の浪費と決め付けてスピードを強要するのではなく、まずは自分がスローペースにすべきかどうかを自身で問い、相手がスローペースにしている理由を問えばいいのです。そうすることで、個人のスピードは出しきれないかもしれませんが、全体のペースを向上させることができます。スピード狂になり、拙速にものを判断して忙しさをばら撒かないためにも、自身のスピードと対話することは大切です。早すぎるスピードは事故の元ですから。


君、時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るものなのだよ。
シェークスピア