長谷部誠が教えてくれた自分自身に打ち勝つ唯一の方法
何か嫌なこと、不利益なことが起こったときに他人を責めるか、自分を責めるかの2つに分かれます。他人を責める人は、『自分は悪くない相手が悪い』と決め付けて自分で自分を肯定します。一方で、自分を責める人は、『相手は悪くない自分が悪い』と決め付けるので、自分で自分を否定します。自分を否定して多くも求めることは、悪いことではありません。むしろ、自分の成長のためには必要なことです。しかしながら、過剰に自分を否定することは考え直す必要があります。自分を責め続ける負のスパイラルに嵌ってしまっては、自分に打ち勝つどころか、自分が自分を嫌いになってしまうだけです。
- 作者: 長谷部誠
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2011/03/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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他人の評価では自分は肯定できない
自分で自分を肯定できなければ、他人から肯定してもらわなければなりません。確かに、他人から評価されることはうれしいですし、自信にも繋がるものです。しかしながら、そんな他人の評価に依存してしまえば、常に他人からの評価が気になり始めます。他人の評価を得ようと必死になることにはあまり意味がありません。相手がどう思っているかは相手が決めることだからです。良く思われようと努力したところで、それは真に自分を肯定することにはつながりません。いくら他人の評価を積み上げようとも、そこに自分の評価がない限り、自分を肯定することができないのです。
自分は自分が評価するべき
自分を責める人は、常に自分を否定し続け、それを改善するために努力して、他人の評価を求めたがります。しかし、いくら他人の評価を集めても、他人は他人の目線で評価しているのであって自分のために評価してくれているわけではありません。特に、他人を責める人の評価はすべからく辛口です。そんな評価に見合う自分を作るプロセスは必要だと思いますが、評価を気にして迎合するようなプロセスは必要ありません。他人は他人の都合のいいように評価しています。だったら自分は自分の都合のいいように評価してもいいのです。ただ、その評価には基準が不明瞭ならば、無し崩し的に自他の評価が下がっていくことだけは覚えておく必要があります。
自分を肯定するために必要もの
自分で自分を肯定してはいけないというのは思い込みです。自分の評価を信じられないのは、自分の基準に疑いがあるからに他なりません。自分の基準がぐらついている限り、そこに自信は積み重ねることはできません。自信を重ねられるのは自分が納得する基準にそって自分を評価することしかありません。他人の評価は「参考」にはなりますが、あくまで自分を支える一部にしかなりえません。自分を否定するのは、自分だけで十分です。他人に否定されたことを気にする余裕があるなら、自分が否定したことを改善することに注力すればいいのだと思います。まずは、自分の基準を明確に持つことです。そんな自分の基準をつくるのに必要なものは唯一つ、揺ぎない『信念』だけです。
僕はあなたのために言っている。
しっかりしたレフェリングをしてくれ。
長谷部誠