sadadadの読書日記

読書した本のまとめ、読後所感、考えたこと



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今だから見直したい「ゆとり」の重要性

少ない情報の中で、がんばれば何とかなると心に言い聞かせ、必至に時間と労力をかけても、行き先が間違っていては話になりません。しかし、現場にいる人では目の前のことで精一杯になっているため、現状を打開する一手を思いつくのは困難を極めます。そういった判断をできるのはやはり後ろにいる余裕のある人がすべきことです。一歩引いたところで合理的に判断し、目の前のことで一杯一杯になっている人を如何にして方向つけるかは、ラットレースをさせないために肝に銘じておくべきことだと思います。

思考の整理学 (ちくま文庫)

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1 ゆとりの必要性

ゆとりは無駄と同義的に見られがちです。なぜならゆとりが、いわば余剰で賄われているからです。ですから、通常時においてはそんなゆとりを削り込み極限まで効率化する方に力が働きます。しかしながら、それはあくまで通常時の話に過ぎません。一旦危機状態になれば話は変わります。環境が変化すれば、通常が通常でなくなります。そうなれば、既存の手法で最適化されたことも、不適になる可能性も否定できません。効率を追い求めるがあまりゆとりを切り詰めてしまえば、そんな変化に対応するゆとりを失ってしまうことになるのです。やはり合理的に判断をし、次の最適に切り替えるためにゆとりは必要です。

2 ゆとりは否定してはならない理由

ゆとりを無駄とみなしてしまえば、イザというときに思考停止に陥る大きな原因の一つになります。やはり、突然の変化に対応するためには、最初からある程度のゆとりを確保しておく必要があるのです。その時代の、その場所の、その環境にのみ適応した贅肉のない体質は、実は環境の変化に耐えられない脆弱な体質なのです。何事もバランスです。バランスを失った天秤は倒れます。無駄を認めてゆとりを許容する設計でなければ何事も安定的に運用することはできないのだと思います。

3 ゆとりは未来をつくるための投資

ゆとりの無い状態を続けることは、極めて心身を疲弊させます。ゆとりはそれ自身がもつ性質から心理的、肉体的にストレスに耐えるための緩衝的な役割を果たしているからです。お相撲さんやプロレスラーが筋肉の上に脂肪を蓄えるのも強い衝撃に耐えるためです。ゆとりを削り込み、ゆとりのない状態を続けることは長期的にみれば継続性を持ちません。イザというときに全てを失ってしまっては本末転倒です。現在、私達を取り巻く環境は大きく変化しています。と同時に、無駄の概念も変化しています。そんな時代には、無駄なものも有用になるかもしれないという発想のゆとりは最低でも必要です。つまり、ゆとりは未来を作っていくために必要な投資なのだと思います。

ゆとりは一種の投資である。
トム・デマルコ