努力を結果につなげたいなら「がんばること」を考えてはいけない
「がんばること」に価値があるという考え方には気をつける必要があります。「がんばる」という言葉には、「耐える」というニュアンスが含まれています。耐えることに美徳を感じ、がんばることが幸せであるということは、努力した先に成果があることが前提にならなければなりません。『がんばること』による成果は必ずしも約束されてはいないのです。
- 作者: 加藤三彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/01/18
- メディア: 単行本
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努力信仰者の行く末
確かに、成果が得られるまでの「がんばる」過程には様々な価値があります。しかし、がんばることに価値があるという人は、がんばることそのものを重視し、成果に結びつく手法に対して遠回りすることを厭わず、プロセスの改善を拒み、しなくてもいいはずの『苦労』も重視するのです。
成果は環境が決める
苦労は成長にとって必要なことです。ですが、がんばる先に成果があるかどうかわからない中で、がんばる道のりをあえて険しくする必要性などどこにもないはずです。現代において努力に対する成果は「環境」によって大きく左右されます。「オンライン環境が整った、名トレーナーに囲まれた、ノウハウが詰まった環境」と、「なにもないアフリカ平原の環境」においては、個人の努力の差などあってないようなものです。
環境の差は努力では埋められない
環境の差によって、費やす労力、時間に差が生まれるだけでなく、得られる成果自体にも差が生まれます。しかも、その差は環境の良し悪しにより級数的に広がっていきます。わき目も振らずがんばるためには「がんばれる環境」という前提がなければ成立しません。限りない非効率を生み出し、やる気も労力も奪い続ける環境で『がんばる』ことは危険です。まず注力すべきは「がんばれる環境」を設定することなのです。
努力した者が全て報われるとは限らん。 しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる。 鴨川会長