常連めしの寺門ジモンに学ぶ美食の理論
食べ物がおいしいということは、生きる上で非常に大きな感動です。食は死ぬまで続く日常的な行為なのでどうやっても縁が切れません。人間は何故おいしい物を食べようとするのか、味覚が優れているということは生物として必要な能力なのか。常連めしの寺門ジモンに学んでみたいと思います。
- 作者: 寺門ジモン
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2010/12/18
- メディア: 単行本
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1 美味しさは必要から来るものなのか
喉が渇いているときは水道水でも満足します。疲れているときは少しでも甘いモノが欲しくなります。汗をかけば塩気が恋しく感じられます。体が欲していれば、なんであれ美味しく感じられるものです。しかし、身体が必要とするものだけが美味しく感じられるなら、必要以上に塩分や脂質や糖分を摂りすぎることはありません。明らかに生理的に好ましくないものや、命取りになるようなものでもおいしいと感じるものもあります。
2 美味しさは何処にでもある時代
流通が発達していない時代においては、地域でとれる食物も限定されていたので、生理的な限度を超えるまでに美味しいものを食べられるということはあまりありませんでした。しかし、現代においては、その枠が取り払われてしまって、知識と手段さえ整えれば無限の美味しさが手に入ることができるようになっています。
3 美食が育まれた背景
素材の栄養価だけで考えれば、舌が肥えているいないは関係ありません。しかし、人間は飢えから解放されれた時点で、美味しいものを食べたいという欲望を追求し始めました。そして、効率生産・安定供給の観点を超えたコスト度外視での食味や風味を追求するようになり、美味しいものが食べたいという欲求が、今では、ブランド農業を維持し、食に携わる人たちの技術を支えています。
4 美食を支えるのはどこまでも続く欲望
つまり、美食というものは精神的な充足感を得るために行う趣味、趣向であり、深い感動を得るためであり教養を身につけるの同じなのです。味覚を研ぎ澄まし、味を追求することは、美味しいもののみを選別していく行為であり、生命維持とは逆行する感動を得るための『文化』なのです。
美食マンガの巨頭『美味しんぼ』でもよく語られていますが、文化を維持するには相応の努力、労力が要求されます。日本が世界に誇る食文化は、より美味しいものを食べたいという海よりも深い欲望により今もこれからも支えられ続けていくのだと思います。
最後の武器は『お箸』です
寺門ジモン