自分の答えは書き続けることで見えてくる
知識を自分の中に取り込むために、「読む」ことだけでは不充分です。自分がどのように考えているのかは、頭の中だけで把握しきることはできません。いわゆる知識を使えるレベルにするためには、やはり何らかの形で自分なりに「まとめる」ことが不可欠です。そんな、まとめる行為の代表格が「書く」ことです。頭の中に入った知識を、どのように理解しているのかを見るのには、まず書くことです。そして、書いたことを組み立てていくことです。そうすることで、頭の外で考えがまとまっていきます。そういった作業を通じて頭の中がすっきりしていくのです。得た知識を自分のものにするためには、まずは何より書くことだと思います。
- 作者: 渡辺健介
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2009/05/22
- メディア: 単行本
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1 見えない自分と見たくない自分
人は人それぞれに考え方の癖のようなものがあります。それは今までの経験や知識から生み出されるもので、言い方を変えれば「偏見」です。偏見に良い悪いはありません。人には趣味、趣向が必ずありますので偏った考え方になるのはある意味で自然なことなのです。偏見は、その人の考え方であり、性格そのものであり、その人の行動にも影響するものです。そんな偏見に対して他人が外側から批評をすることはできますが、どうこう言ったところで偏見は変わりません。
2 偏見が自分を苦しめる
問題なのは、そんな偏見に固執することです。物事を真正面から見ることを拒むことです。偏見は見たいものだけを見て、見たくないものは見ないような色眼鏡のようなものです。物事を素直に見えなくなれば、事実を歪んで受け取ってしまったり、誤解をしたりとさまざまな弊害を生み出します。勝手な解釈を作り出して、あれこれ言い訳を生み出します。そして不合理な行動して、自分の都合の良いようにしか見なくなるのです。そんな、色眼鏡には常にリスクが伴います。ありもしない妄想や幻想で自分自身の首を絞めるのはナンセンスです。
3 書けば書くほど自分に迫ることができる
書くという行為は誰かに何かを伝えるために行います。と同時に、自分自身にも何かを伝え直す効果があります。何度も何度も繰り返し書き続けることで偏見に対して違和感を覚え始めると思います。見ていたものが見えなくなって、見たくなかったものが見えてきます。複雑に絡み合った自分の色眼鏡は書き続けることで修正されていきます。自分自身を見つめなおすためにはやはり書くということが重要なのだと思います。自分自身を理解するということは、見たくなかった自分を確認する行為でもあります。今まで見えなかった(見たくなかった)部分を認識することは非常につらいものです。しかし、見たくないものを見なければ、地に足のついた本当の自分は見ることができません。
4 自分の価値は自分が決めるもの
偏見を修正したり、取り除いたりすることに対して拒むのは自分の過去の偏見だけです。多くの書を読み、書くことを通じて自分自身に多くを取り込んでいきましょう。そして自分自身を振り返って見直していきましょう。偏見は取り除かれるほどに周囲に適応することができるようになります。そして、周囲に対して多くの価値を生むことができるようにもなります。自分の存在価値は自分の偏見によって妨げられています。まずはなにより、自分の殻を破っていくために、いままでを書き綴っていきましょう。そうすることで、自分の価値は自然と高まっていくはずです。
☆書き続けることで得られるもの
- 1 情報を吐き出すことで整理できる
- 2 表現力と論理力を身につけることができる
- 3 視点を重層化することができる
- 4 知らないことを知ることができる
- 5 価値を提供できるようになる
読書は充実した人間をつくり、書くことは正確な人間をつくる。
フランシス・ベーコン