空気に飲み込まれないために知っておくべきこと
みんなを代表する「空気」は、いつも多数派を装います。みんなそう考えているから、みんなの意見だから、みんながそうしているから、そんな空気を漂わせて空気の中に個人を取り込んでいきます。確かに同じ空気を吸えば、空気は共有できるかもしれませんが、違和感を感じた空気を吸い続ければ苦しくなるのは当たり前です。最悪、窒息する恐れもあります。空気を読み合い、空気に押しつぶされないためには、何より「空気を知ること」です。
- 作者: 鴻上尚史
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/07/17
- メディア: 新書
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1 空気になりたい理由
空気はそのときの気分や雰囲気でコロコロ変わるものです。そんな空気に右往左往している人を信用するに足りません。そんな空気に参加するために右往左往することも信頼のおける行動とは言えません。空気になりたい理由は、自分に意志がないから、意見がないから、判断したくないからです。空気の中に自分の身を置けば不安は共有されるかもしれませんが、根本的に解決に向かうわけではありません。つまり、空気に身を委ねたとしても根本的な不安はいつまでも消えることはないのです。
2 空気は必ずしも正しくない
空気を主張する人、空気に飲み込まれる人は、自分ではない空気にすべてを転嫁します。空気の責任にすれば、どのような責任からも開放されます。「みんな賛成していたから仕方がない」が理由になればどのようなことでもまかり通ってしまいます。誰のものでもない空気に正しさは存在しません。みんながみんなの片棒を無責任に担げば、あらぬ方向に進んで行ってしまっても止めることはできなくなります。さまざまな意見に耳を傾けず、排他的で思考停止に陥り、空気を理由に判断すれば、数はそれ自体が危険性を持ちます。
3 無理にまとまる必要はない
そもそも個人の考え方は常にバラバラに存在しています。それは、どの考え方が正しくてどの考え方が間違っているということではなく「違い」がそこに存在しているだけです。偏った考え方を持っている人もいますが、それはそれでひとつの考え方です。自分の考え方が絶対に正しくて相手の考え方が間違っているなどというのは、それこそが偏った考え方です。さまざまな考えを無視して空気を使ってまとめようとすれば、必ず歪みが生じます。お互いが疑心暗鬼になれば、なにより「信頼」を築くことができません。そうなれば空気はだんだん重くなり、薄くなり、苦しくなってきます。
4 集まるところには自然に集まる
信頼関係のない空気の中で暮らしていても息苦しいだけです。そんな空気を無理に押し付けても関係が険悪になっていくばかりです。息苦しい空気に正しさなど存在しません。自分の意志、意見、判断が明確に存在していれば、そんな空気も不安に感じることはありません。そもそも、新鮮な空気には人は集まっていくものです。考えるべきは「汚い空気にまとめること」ではなく、「きれいな空気を作ること」なのです。
黙っているほうが安全だという雰囲気は、非常に危険だ。
盛田昭夫