ビートたけしが教えてくれた優しさには根性が必要なわけ
最近、若い人たちを中心に表向きの対立を回避する「やさしい」関係が広がっていますが、その裏にある「やさしくない」努力についてはあまり触れられません。やさしさを担保するためには遠慮、配慮、思慮に守られた聖域を守る必要があります。そんな聖域を守るために差し出す労力のことを隠す理由を突き詰めれば、本当の「やさしさ」についての理解が出来るのだと思います。
改訂版 アサーション・トレーニング ―さわやかな〈自己表現〉のために
- 作者: 平木典子
- 出版社/メーカー: 金子書房
- 発売日: 2009/09/16
- メディア: 単行本
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やさしい関係が求めるもの
やさしい関係は緩衝部分を守るために基本的に『違い』を許しません。個々人の感情や考えを抑圧して、やさしい関係を維持することを強要します。つまり、個人よりも関係を優先させて、いかに変わらないでいられるかを求めるのです。これはある意味で言論封鎖、思想統一と同じことです。当然、抑圧されたフラストレーションはやさしい関係を支える個々人の内部に溜め込まれていきます。そのはけ口として「やさしいトモダチ」でない人、また「やさしいトモダチ」の規範に抵触してしまった人に向けられることになります。これはある意味で選民思想、民族浄化と同じことです。やさしい関係を維持するのは、やさしくないのです。
やさしい関係はやさしくない
そもそも人が二人いれば必ず何かしら違いは出てくるものです。当然、その違いは意見や行動は異なりますし、ズレはあります。やさしいトモダチ関係はそんなズレを無視して、頭ごなしに同意することを強要します。しかし、常に我慢を要求する形は自然ではありません。やさしい関係には、そもそもそれ自体に無理があるのです。ですから、少しでも監視や強制力を失えば空中分解してしまいます。それを防ぐためには常に一緒にいて繋がり、違うことをしているかを監視し、すこしの違いでもあればそれを糾弾しなければなりません。やはり、やさしい関係を維持するのは、やさしくないのです。
1 やさしいトモダチは同じ場所に集まる。
2 やさしいトモダチは似たような行動する。
3 やさしいトモダチはなんでも共有する。
4 やさしいトモダチは即レスを要求する。
やさしい関係は誰のために何のために存在するのか
事情を配慮して踏み込まない。周囲に遠慮して主張しない。思慮して引き下がる。そういった「やさしい」距離を保つことは、裏では『自分に』やさしい距離を要求しているのと同じです。やさしい関係を保ちたいのはそんな弱い自分を隠すためなのだと思います。しかし、そんな弱い自分を隠している人の群れに所属しても、自分の奥底に眠る本当の不安は拭い去れるものではありません。群れることでは自己そのものは何も変わらないからです。やはり求めるべきは、やさしい関係よりも、キビシイ関係に耐えて、やさしく振舞える自分です。他人に優しくなるためには、自分に厳しくなければならないのです。
最後まで押し通せなかったらやさしさではない
途中でくじけるなら悪人になればいい
やさしさは根性
ビートたけし