sadadadの読書日記

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「お客様は神様です』の真実

サービス業では「お客様は神様です」という言葉はあちこちで使われています。ところで、この言葉を使うのは誰でしょうか。『お客様』自身でしょうか、サービスをする『お店』でしょうか。それとも自分のことを神様というお客様と、お客様を神様として取り扱うお店側の間で働く『従業員』でしょうか。それぞれの立場でこの言葉を捉えるとその意味が大きく異なってきます。当然、支払って頂く『対価』についてもお客様、お店、従業員の間で異なり、そのバランスが崩れれば極めてブラックになりサービスを維持することが困難になることだけは間違いありません。

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1 『お客様は神様です』といって得する人

サービス業はサービスに対して対価を支払わられて初めて成立しています。ですから、対価をたくさん払う紳士な人は上客として取り扱わなければなりません。というより、お店側として最大限のおもてなしが出来なければ、上客を受け入れる資格はありません。一方で、対価をほとんど支払わない横柄な客へのサービスについてはどうでしょうか。対価を支払わずして必要以上のサービスを求めることを認めてはサービス自体が成り立たなくなります。ですから、対価に見合ったそれなりのサービスを提供して、それなりに満足してもらう必要があります。いずれの場合も「お客様は神様です」という言葉は、お客様、お店にとって都合がいい言葉だということはお分かりいただけると思います。対価のバランスを調整するのは従業員なのです。

2 海外でチップ制が導入されているわけ

外国では従業員からチップを要求されることが一般的です。初めて海外に旅行したときは要求されてから支払われた人も多いと思います。そして支払う額によって働きが変わることに驚かれたことと思います。海外では、どんなサービスでも対価を支払うのが当たり前という感覚が根付いています。ですから対価においても、お店が定める基準に加えて、お客と従業員の間で細部調整ができる環境にあるのです。一方で、日本ではサービス料込みというところが一般的です。そして、ベテランのサービスを受けようが、新米のサービスを受けようが一律のサービス料(込み)を求められます。非常に対価のバランスが取りにくいのです。

3 サービスの対価は誰が計算するのか

最近は「もてなしの心」が強調され、HOWTOやその精神、そして「もてなしのプロ」による経験談とか成功談の本が書店の書棚に並んでいます。しかし、そのもてなしの心は誰のために使われるのでしょうか。お客様からもそして雇用者からも利用されて、自己満足だけで終わってしまえば、継続する意志が失われてもしかたがありません。当たり前の話ですがサービス業はボランティアではありません。赤字になっても「客の喜ぶ顔を見るのが楽しみ」というのはやはりタテマエにしなければなりません。サービスが全くないが格安の宿が繁盛するのも、重厚なサービスで高級な宿が繁盛するのもサービスのお店が対価をきちんと計算しての事なのです。

4 もてなすのは誰のため

お客様、お店、従業員の間である意味、対等の関係が成り立っていなければ対価のバランスを保つことが難しいのかもしれません。ただ主体的な『もてなしの心』に対して、対価を適切に支払う紳士な人と、報われる環境を整える店がなければ、サービスをする人は誰もいなくなってしまうことだけは確かです。もう一度、心に手を当てて考え直す必要があります。神様のために神経をすり減らして働くのは誰のためなのでしょうか。


サービスする側を 見下すような人たちには、様は付かない
三波春夫 - 「お客様は神様です」について はてなブックマーク - 「お客様は神様です」について

「自分が面白いと思うこと」をやるべきか?「他人が面白いと思うこと」をやるべきか? - teruyastarはかく語りき はてなブックマーク - 「自分が面白いと思うこと」をやるべきか?「他人が面白いと思うこと」をやるべきか? - teruyastarはかく語りき