sadadadの読書日記

読書した本のまとめ、読後所感、考えたこと



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単に都合のいい人にならないために考えておくべきこと

「良い人なんだけどちょっと・・・」と言われる人はあちこちにいます。いつも笑顔を振りまく八方美人な人、誰にでも迎合する人、風見鶏のような人は良い人ではなく、単なる都合の良い人でしかありません。また、むやみやたらに良い人を維持しようとすると、結局は割の合わない善意を投げ売りするはめになり、良い人であり続けることはできません。つまり良い人であるためには、良い人であることを支える屋台骨らしきものが必要なのです。

ハーバードの人生を変える授業

ハーバードの人生を変える授業

1 善意にも市場経済が存在する

企業は利益を生み続けなければ営利活動が継続できないように、慈善活動にもある種の市場原理を無視できない側面が存在します。打算的になれとは言わないまでも、割に合わないと思ったら割に合わない理由を述べることはしなければなりません。自分だけが不利益を被るような善意は、あっという間に配る余裕が無くなってしまいます。善意を配り続けたいなら潜在需要の見通しと供給できる量を知り、効果的に善意を投下して節操の無いバラマキを防止しなければなりません。そうなれば当然、何が必要で、何が必要でないか、そして何ができて、何ができないかを考えなければなりません。真摯に継続した善意を提供したければ自分のできる範囲を超えてはならないのです。

2 いい人は誰にとっていい人なのか

市場経済においては、良いものでも対価を支払わなければ無くなってしまいますし、悪いものでも対価を支払えば残ってしまいます。市場では基本的に良いものが残っていくはずという考えの下で設計されていますので、この不均衡が自然に是正されていくのですが、慈善活動においてはそうは行きません。対価という概念が存在しないところで愛とか感謝といった感情的、観念的なものでこれを支えなければならないからです。やはり対価をもとめなくてもいい領域で活動するなら自分の趣向にそった形での善意の提供を考えた方が自然に振舞うことができるはずですし、提供できる善意の量も増えるはずです。

3 いい人である主導権は常に自分にある

良い人に見られたいと思う気持ちは誰しもあると思います。しかし、良い人に見られるための努力はする必要がありません。自分が良いと思うことをするだけです。というよりもむしろ、良いと思うしか継続して活動することはできないと言ってもいいかもしれません。そういった考え方が集まれば慈善活動に後ろめたい気持ちは持つ必要は無くなるのだと思います。大切なのは、一つでも多くの、一人でも多くの善意が社会に提供されることです。好きだからやっている人に裏側は存在しません。


あなたが善を行うと利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく善を行いなさい。
マザー・テレサ

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