苦しくない関係は圏外にある
ケータイやネットが「圏外」表示になると、何ともいえない不安を覚える人が増えてきています。それらの通信網が失われると、その関係から排除されたように感じてしまうのだそうです。たしかにケータイやネットはその関係を維持強化するツールとして極めて優れたものです。しかし、通信網は『関係』を維持していることをサポートするだけで個々の『自分』を作っているものではありません。関係を保つことに対して固執する人は孤独を感じたくない、そして頼りない自分を支える関係を維持するためにその環境を求めるのです。
- 作者: 水野敬也
- 出版社/メーカー: 飛鳥新社
- 発売日: 2007/08/11
- メディア: 単行本
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1 圏内にいて当たり前という関係
コミュニケーションを行うには他者を気使う配慮が必要です。この配慮が行き過ぎると『空気』と呼ばれるものに変わります。日本は昔から場の空気を読む文化が作られてきました。「気配」「殺気」「気分」等など、日本語には「空気」にかかわる言葉が多いのもその理由だそうです。昔は『場』が現実の『場』とそう違わなかったので、『場』さえ変えてしまえば空気による息苦しさを逃れることはできたのですが、現在では『場』が圏内のすべてを覆ってしまい『空気』がどこにでも適応されるようになってしまったのです。
2 関係に飲み込まれないためにすべきこと
たしかに他人を気使う配慮は必要かもしれませんが、自分の応答能力を超えた関係を維持する必要はありません。関係が自分を支配するようになれば本末転倒です。関係はそれ自身を円滑にすれど、何も生み出しはしません。能力がない人、魅力がない人、尊敬できない人が関係を保っていても、単なる傷の舐めあいにしか過ぎず、欺瞞に満ちた敬意を払うことにはなんの意味もないのです。そのような関係の間に生じる『空気』は読むに値しません。大切なのは関係を維持するために右往左往することではなく、自分自信の能力を高めることであり、『肺活量を増やすこと』に他なりません。
3 苦しくない関係は圏外にある
関係を支えるためには時間と労力が必要です。ですから『関係を保つこと』に執着すれば必ず力が失われていきます。関係を絶つことは自ら進んですべきことではありませんが、関係が届かない場所というところは必要です。自身の能力を高めるためには自分自身と向き合う時間と労力が必ず必要であり、そしてそれらの努力により新しく得た能力をもってして、新しく関係を再構築できれば新鮮な空気を提供できるようになるのだと思います。そのような行為を認めるためには一旦、圏外に出なければなりません。そういったことがあたりまえにできる関係こそが真に苦しくない関係なのかもしれません。
空気は読むもんじゃない吸うものだ
3年B組金八先生