規格外というレッテルで失うもの
今は買い物に行くと均一な品質で、見た目もきれいなものがズラリと並んでいます。その裏側を覗いてみますと生産者、流通業者が不揃いなものを丁寧に排除して、「規格」を統一するための努力が為されています。なぜこのような努力が為されているのかといえば、見た目以外の要素はほとんど変わらないものでも規格から外れたものは半値以下、もしくは値がつかないなどの流通構造になっているからです。このような構造が生み出すメリットとデメリットは知っておく必要があります。
- 作者: スティーヴン・D・レヴィット,スティーヴン・J・ダブナー,望月衛
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2010/09/23
- メディア: 単行本
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1 規格と規格外は表裏一体
今、アウトレットや訳あり商品は大繁盛しています。規格外でもそれなりの品質が担保され、安価で販売され、活用されてこなかった資源が有効活用されていると、良いこと尽くめのように思えます。しかし、これらの規格外商品は『規格』があってこその規格外ということを忘れてはなりません。規格外市場ばかりが活性化すると、規格市場を奪っていくことになるのです。そうなってくると規格自体が維持できなくなってしまいますし、そうなれば当然規格外も無くなってしまいます。つまり規格と規格外を線引きするものは、それ自体が市場に左右されるのです。
2 規格は誰のためにあるのか
規格外は規格があれば自然に発生します。ミスが起こらない設計は追求されるべきですが、完璧は存在しません。その完璧を目指せば目指すほどに負担が増すなら、有る程度バラつきがあっても安価なものという選択肢は排除すべきものではないのです。求められる品質がそこにあれば「最適な」規格はそこに落ち着いてもいいのだと思います。大切なのはその規格が求められている水準にいかにモノと合致しているかだけなのです。
3 規格だけが安心な社会
この考え方は日本の人材市場についても同じことがいえます。サラリーマン以外を選択した場合、社会的なリスクを個人で背負わなければなりません。そういったいわゆる規格外に対して、支援育成する市場が十分に形成されているとは言えません。チャレンジしてみようというハードルが高ければ無難な選択肢を選ぶヒトが増えて然りです。そういった環境では、選択肢は消去法的に少なくなっていきます。
4 規格外も認められる社会
皆一律の規格に納まっていく社会には閉塞感が漂います。選択肢の広さが活性化の基軸になることは間違いありません。自分の生き方は自分で決められるという基盤があるだけで活性化します。規格外でもやっていける生まれながらの素養は確かにあると思いますが、それは後天的な学習次第でなんとでもできると思います。自分の好きなことをマネタイズして作っていくという基盤がそこにあれば、チャレンジするためのハードルは下がり、あらゆる才能は開き始めるはずです。そういったチャレンジできるインフラを整えていくことこそが一番重要なことなのかもしれません。
自然はわれわれすべてに同じ能力を与えなかった。
イソップ
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