sadadadの読書日記

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年齢に拘らない留年制度が社会を変える

国は国民の最低限度の文化的(知的)生活を保障しなければなりません。「教育を受ける権利」がそれにあたります。教育基本法が、教育の機会均等を定め、義務教育を無償にしているのはそのためです。裏を返せば義務教育で習ったことのすべてを修得しても、最低ラインの生活をすることしか保障していないということです。義務教育は最低限の暮らししか保障しないのです。しかし、義務教育には留年がありません。年齢に応じてどれほど成績が悪くとも進級します。つまり義務を果たす能力を得ないまま卒業させることを暗黙に容認しているとも言えます。これは子供も親も教師も同罪です。

学校って何だろう―教育の社会学入門 (ちくま文庫)

学校って何だろう―教育の社会学入門 (ちくま文庫)

1 教育を受けさせる『だけ』になっていないか

義務を果す能力がない子供達を社会に送り出すことがどれだけ問題を生むのかは、皆が想像しなければなりません。必要な知識を身につけていない子供本人はもちろんのこと、その子供を受け入れる社会の人も苦しむことになります。現在、そんな義務教育のツケは大学受験や就職のときの浪人という形で集約されています。巻き戻す時間が長ければ長いほど修得に時間がかります。大学で高校の内容を教えるのは許容できても、中学の内容まで遡ると本来学ぶべきことにすらたどり着けません。この教育に関する負担は本来誰が背負うべきなのでしょうか。

2 年齢に拘らなければすべてが解決する

この問題の根底には年齢と学習内容が強くリンクしていることにあります。大人になってからも年齢=経験というリンクはありますが、これが当てにならないことは誰もが知っているところだと思います。つまり、年齢に拘りすぎて、本来あるべき習得することに対して軽視しているところに問題があるのです。それを解決するのが留年なのです。

3 留年のメリット

留年のメリットは年齢管理という概念を変えてくれます。同一性が失われますので多様性のある社会に対して抵抗力が付きますし、許容度が増します。また、進級に必要な学力以外の部分の体力、指導力など他の項目に対しても『認める』ようになれば歪んだ同質性を求めることはなくなります。そうなれば義務自体は何かを問われるようになります。教育と社会の間にある義務が真剣に模索され始めれば、緊密にリンクし始めるようになるのだと思います。

4 重視すべきは入口ではなく出口

学校でもっと勉強しておけばよかったと思う人は多いです。この後悔は留年という制度が広く世の中に受け入れられれば解消されます。卒業するのが『当たり前』はもうやめにした方がいいと思います。必要な知識を身につけていない場合は出来るまで留年させる。留年は、学習するために学校があるという目的がはっきりさせることで、人材を受け入れる社会の側の負担も減るはずです。年齢以上の知識を持ったスーパースターを探す手間も省けますし、誰でも何処でも相応の能力をもった人がいれば、社会全体として機能しやすくなるのではないでしょうか。


義務が権利を作り出すのであって、権利が義務を作り出すのではない。 
シャトーブリアン

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