sadadadの読書日記

読書した本のまとめ、読後所感、考えたこと



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指導力はどうやって鍛えることができるのか

とりあえず長時間拘束して、意味があるか分からないトレーニングでも繰り返えせば何かしらの成果はあがるものです。もっといろんなトレーニングをすれば・・・、もっと長い時間トレーニングをすれば・・・、もっと負荷の高いトレーニングをすれば・・・成果があがる!というのは勘違いに過ぎません。情熱はあってしかるべきですが方向性が間違っていれば空回りするだけです。自分の指導力のなさは情熱だけでカバーすることはできません。コミュニケーション、心理、技術、組織形成に対する知識やそれを実践、定着させる環境や仕組み作りなど学ぶべきことは沢山あります。情熱を振り向ける先をすこし変えるだけでいいのです。寝食する時間すら奪って、ボロボロになるまで勉強させたり、練習させても本質的な能力の向上には繋がりません。トレーニングは何であれ負荷を調節して超回復を利用しなければ能力は向上していかないことは一般的に知られている事実です。

受けてみたフィンランドの教育

受けてみたフィンランドの教育

1 教育している時間は誰のものなのか

すべての人において与えられた時間は同じです。とくに将来を背負っている指導される側の方が時間の大切さは大きいはずです。その時間を指導する側もされる側も無駄にするような行為は誰のためにもなりません。無駄に時間を過ごさせて、溜まったのは、ストレスと疲労だけというのはあまりに寂しい。さらに、野球だけ、音楽だけ、美術だけの人生を強要しておいて、そのあとの責任は取らないというのはあまりにも無責任です。

2 指導力は適正な負荷を目の前におけるかで決まる

上から命令口調で『ご指導』を押し付けるのは簡単ですが、教えられる側は指導者のコピーではありません。指導者と同じ練習方法や学習をしても効果は上がりませんし、効率的や合理的にばかりを追求しても同様です。それは人によって得意分野、能力は異なるからです。それを最大にするのはあくまでも『指導される人にとって』という条件付きです。そこを理解しなければ自分を遥かに超えて行く可能性を押さえつけていることにもなりかねません。それぞれを適正な環境において、適正な負荷をかけることがもっとも指導される人を伸ばすことを忘れてはなりません。負荷を調整して結果を分析する。その結果を納得させる。次にすべきことを考えさせ、話し合う。そして、新しい負荷を用意する。つまり、指導力とは適正な負荷をかけられるかどうかで決まるのです。

3 よい指導者はサポーター、よき理解者に徹する

一歩離れて外側から見てあげてアドバイスする。その視点を理解させる。プレイや学習を自分ではない第3者的に評価して、自分自身を納得させることです。いずれ本人が自分で自分の適正値を見つけることができるようになれば、指導者から離れていくことができるようになります。いつまでも自分の『ご指導』を受けさせるのではなく、自分の背中を超えていく未来の子供達を笑って見送れるようになりたいものです。


唯一の真の教育者は、自らを教育した人である。
アーノルド・ベネット

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