sadadadの読書日記

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そもそも教育は誰のためにするのか

公教育に不足を感じ、なんらかの形で教育を補わなければ通用しないと考えている人は多いです。学習塾をはじめ、英会話学校や各種習い事等、教育関連には多額の投資がなされています。しかし、その投資が教育界にとっては利益になるかもしれませんが、個人にとって、そして社会にとって利益を生む投資になっているのかといえばそうではない気がしてなりません。将来にわたって必要な教育が何かを教育を用意する側も受ける側も見定められていないことが大きな原因です。

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法

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1 教育と社会のギャップ

いままでの労働集約型の社会においては、ある一定の国語、算数、理科、社会を修めていることが労働条件と合致していましたが現代ではそれがズレ始めてきています。期間工、飲食業、土建業、運転手、介護、看護も社会では一定数必要とされていますので、職を選ばなければ教育の内容など問われないのかもしれません。しかし、これらの職は現在外国人労働者で補わなければならない状況が続いています。そもそも誰でも替わりが効くような仕事は過当競争に陥りやすく、今後も引き続き人的コスト競争力のあるアグレッシブな外国人労働者や、他に収入のある定年退職者やパート主婦と共食いになっていくことは目に見えています。

2 『何を』教育するべきかと『何を』教育してほしいかは一致しない

公教育をとりあえず履修しただけの人材は過当競争で食いつぶされることは間違いありません。生産性の低い分野で年代、人種が違うところで入れ替わり立ち代り働くことをよしとするラインを公教育のラインにおくのは妥当なことなのでしょうか。現在では最低でもIT環境やリテラシーがなければ効率のよい仕事は出来ませんし、既存の定規で製品性能を上げただけのような商品など売れない時代ですから、いままで無かった発想や切り口が求められている。同じ努力をしても方向性を変わらなければ、成果を得ることは出来なくなってきています。それに伴って求められる教育の内容も変化してきているはずなのです。

3 教育者の見る夢

教育側がよく語る『個性や可能性を信じる教育』というのは詭弁です。没個性を求められる一般労働者にすら成りきれず、働けない人達を次々に生み出している状況は、ありもしない夢を見させて手段も持たず、戦略も練ることができない子供達に全てを転嫁させているだけです。前例踏襲の構造から踏み出せない公教育と労働市場のギャップを埋める企業が営利目的でも成功を収めているのですから、多額の税金を投入している公教育のあり方自体を見直す余地は十分にあります。

4 公教育のあるべきスタンス

最低限、社会人としてのルールと『労働者』として働くために必要な知識を担保して、一般教養といわれる基本的な読み書きそろばんを主軸にする。それを支える法知識、規範道徳、コミュニケーション、人材育成やマネジメントに係わる部分は公教育の基礎に据える。自らをどうスペシャライズしていくかは選択的に本人達に委ねる。評価という形での学位付与はいままで通り教育機関の責任でつける。ただその教育機関別の学位自体に社会の方から評価をつける仕組みを持ち込む。評価の低い学位なら誰も採らなくなる。人材を受け入れる市場も欲しい人材を評価制度が存在しない学位といういい加減なくくりではなく、どのようなレベルのどのようなスキルをもった人材であるといった適材適所が実現できるのは個人、市場どちらにも互いにメリットが多い。

教えることのできない子供というものはない。
あるのは子供達にうまく教えられない学校と教師だけである。
M・アドラー

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