遊ぶことしか自分の可能性は引き出せない
唯一の正解に向かって我慢しながら進んでいくというのが今までの一般的な考え方でした。しかしながら、正解が多様化する時代になった今では、方向性を誤ればどんなに我慢をしようが報われない現実が存在しています。そんな報われないかもしれない時代には、報われるためには我慢しなければならないと思う人が増えてきます。面白くもない仕事を我慢して続けなければならないと思い込むのはあまりにもつらく、我慢大会になれば、しなくてもいいはずの生産性のない仕事でも容認してしまいます。本気で行うに値しない仕事に縛られて、自分の好きな遊びを放棄するのは、人生のあるべき姿として正しいのでしょうか。
- 作者: バーバラ・フレドリクソン,植木理恵,高橋由紀子
- 出版社/メーカー: 日本実業出版社
- 発売日: 2010/06/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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言い訳してやる仕事よりも本気の遊び
楽しい『遊び』を捨てて、苦しい『仕事』を選ばなければならないのは『本気で遊んでいない』からに他なりません。たしかに社会で認められる閾値を超えるまでには経済的にも苦しいですし、不真面目で道楽者のレッテルを張られて、認められない日々を過ごすことになります。しかし、そんな現実に飲み込まれて我慢大会に参加しても、結局違う種類の楽しくない労苦を背負うことになるのです。であるならば、言い訳しながら仕事をするよりも、本気で遊んだ方がいい気がしないでしょうか。
本気で遊べば問題は解決する
我慢大会に参加するのは『面白くない仕事でしか報われることはない』といった固定観念に過ぎません。そして、遊んでばかりではいけないというのは、『与えられた遊びを消費している』だけで留まっているからに他なりません。遊びは、閾値を超えると消費から生産に変えることができます。考えるべきは、面白くない仕事に向きを変えるのでなく、与えられた遊びの閾値をいかにして超えていくかです。閾値さえ超えれば様々な問題(経済的、社会的、対面上等)などは解決され、遊び続けることができる環境が出来上がります。
遊ぶことしか自分の可能性は引き出せない
我慢大会で労力を搾り取られれば、遊ぶ力も失われます。我慢して耐えることに傾倒するばかりでは、自分のやりたいことを本気で忘れてしまいます。何のために生きているのか分からなくなれば、生きる意味を見失ってしまいます。遊びは、私たちの世界を活気に溢れたものに変えてくれる有効な手段です。脇目もふらず一心不乱に遊ぶことができるような環境は一つや二つはあってしかるべきです。閉塞感のある時代には遊ぶことに対してネガティブに捉えられがちですが、実際は逆だと思います。主体的な遊びは受動的な仕事を凌駕します。無限の可能性を引き出すのは本気の遊びしかないのです。
自分がどうなりたいか、まず自分自身に問え。
しかる後、しなければならないことをせよ。
エピクテトス