sadadadの読書日記

読書した本のまとめ、読後所感、考えたこと



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最も人を苦しめるのは偽善である

世の中の資源は有限ですので、最適に配分するためには合理性をもって取捨選択を行わなければなりません。しかし、この配分に対して善悪で判断する人がいます。たしかに偽善的な感情論は同意を得られやすいかもしれませんが、善悪のみで判断すれば、かならず多くの無駄が生じ、バラマキになります。実効性のない選択肢は結局皆を苦しめる嵌めになるなら、偽善を掲げること自体は罪なのかもしれません。助からない人を助けてたら助からない人が増えるというジレンマを乗りこえるためには、合理的な判断を捨ててはならないのです。それが助かる人を最大化するなら、同意を得られなくともそうすべきなのだと思います。

超訳 ニーチェの言葉

超訳 ニーチェの言葉

1 偽善を支える人は誰か

目の前の偽善に囚われた人が合理的な判断を批判するのは「全体最適」というものが想像できていないからです。現実離れした最善を追い求めても、結局実行できないことを伏せていることが偽善なのです。偽善を掲げる人はすぐに最善を実行しない「誰か」に責任を押し付けます。誰かがやっていないから悪い。誰かが指摘しないから悪い。誰かが作ったシステムが悪い。結局、彼らは最善を求める『誰か』が社会をいい方向にもっていってくれるといった、他人任せな考えしかもっていないのです。

2 感情は行動の源泉になる

問題は感情だけでは解決できないのです。実効性のある現実的な案もないまま、やらなければならないと机の上で吼えても、何も変わりはしません。結局、実際に動く行動でしか問題を解決することなどできないのです。しかし、何とかしなければならないと感じている人にはその解決する可能性を秘めていることには変わりありません。基本的に受動的ではなく自主的に行動するには「動機」が必要だからです。つまり、考えるべきは単に偽善を批判することではなく、感情を覚えた人をどのように動かすかなのです。熱い思いが先行して空回りしているなら、それを上手く駆動させるようにすれば本当の善に向かい始めるのです。

3 その誰かは自分である

感情を行動に移すためにすべきことはただ一つです。「次を問うこと」です。考えを行動に移すためにはそれを促す行為を行えばいいのです。自分の中でどうすればいいかを考えさせれば、必然的に現実的な対応を考え始めます。なぜなら有る程度、頭の中で出来上がってくれば、採るべき行動が具体化されて偽善的な対応に無理が生じるということを理解できるからです。そこで初めて実効性のある選択肢を考え始めます。最善を目指せない選択をするためにはいままでの葛藤を乗りこえなければなりません。しかしその先には、どうにもならない状況でも「どうあるべきか」を「どうするのか」に変える責任ある自分が待っています。

4 最高の善意には最高の悪意が必要 ニーチェ

善悪の判断は自分の中で処理できることです。大切なのは、その判断をいかにして行動に変えていくかです。今そこにある問題は現実的な行動によってでしか解決されません。目前の善に囚われていては善の最大化は出来ないことはマザーテレサも語っています。彼女は持続的に善を振りまいていくためには、選択的する悪意も必要だと割り切っています。その悪意を批判する人は、まさに偽善で本当の善を配ることなどしないのだと思います。より大切なもののために、いま大切だと思っているものを捨てる強さは彼女が教えてくれた最大の教訓です。


自らを正しいとする者は是非を明らかにできない。
老子

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