sadadadの読書日記

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自分にとっての正解は、他人にとっての正解ではない

社会においては、現実に結果を生んで初めて『正解』として認められます。しかし、自分の答えが正しかったにも関わらず、他の答えが選択されて現実的に失敗することなど沢山あります。そんな悔しい思いを重ねて自分の正当性を声高に叫んでも誰も聞いてはくれません。地団太を踏んでも状況を悪化させるだけです。すこしでも自分の思っている正解を理解してもらい、皆の正解にするために考えるべき事は何なのでしょうか。

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1 正解に至る道に正解はない

全体の正解に至る道は絶対に一人では決まりません。不用意に正解を押し付けても反発されるのは、個々人の正解に至る道がそれぞれに異なるからに他なりません。話し合うべきは、その皆が歩む正解に至る道についてです。自分の正解に至る道に固執して、ご破算になるのは建設的ではありません。ですから、自分の正解に至る道を捨てても全体の『正解』に至ることができるなら、喜んでそうすべきです。考えるべきは全体として実現可能な選択肢を選ぶことです。自分の手柄を主張して、自分にとっての正解に至る近道を求めても同意を得られることなど絶対にありません。

2 自分にとっての正解は、他人にとっての正解ではない

特に頭の回転がいい人は、自らが先頭を切って答えを主張をしがちです。しかし、そんな答えを押し付けても理解されなければ反感を買うだけですし、共に正解に至るべき人を納得させなければ、永遠にゴールに至ることはできません。議論をしても空回りして、だれもついてこないスタンドプレーになるのは、自らの答えの絶対性を主張して執着しているからなのです。確かに問題に対する答えの合理性は認められてもいいのかもしれませんが、テストの解答をいきなり教えたところで、なぜそのような答えに至ったのかが理解できないのと同じなので、自分にとっての正解は、他人にとっての正解ではないことを知る必要があります。

3 正解は共有できるカタチで提示される

全体の正解へ至る道を模索するときには不合理な手順になったり多少なりともロスが発生することもあります。その上、世の中には多数決で否定されてしまう正解というものも存在します。それは、自分の答えに固執して全体最適を考えてられていないからに他なりません。であるならば、自分を含めて多少道筋が異なっていると思っても、全体的に答えが収まる範囲が、自分の許容される範囲であれば、それなりに納得することが大切なのだと思います。いずれにせよ、聞く耳持たずに失敗することだけは避けたいものです。


自分で納得ゆかない限り、人を納得させることはできない。
マシュー・アーノルド

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