sadadadの読書日記

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必要なのは失敗しない努力よりも失敗から学ぶ努力

一般的に日本では失敗は、恥で不名誉なこととして忌み嫌われています。特に失敗に厳しく、少しのミスでも許されない場所においては、失敗から学ぶことよりも失敗しないことを優先するようになります。そんな失敗をしないための努力は事前に逃げ道を作ることに他なりませんし、後ろ向きの努力に拘泥すれば前進するはずだった推進力は当然失われることになります。推進力が失われる程度ならまだしも、石橋を叩いても渡らない人が増えてくれば、前に出る人すらいなくなります。これが今の日本の現状のような気がしてなりません。

回復力~失敗からの復活 (講談社現代新書)

回復力~失敗からの復活 (講談社現代新書)

1 失敗をしないことを声高に求める人たち

常に完璧を求めて失敗しないことを求める人が、失敗に対して厳しい環境を作り出しています。そんな環境が幅を利かせていれば人は自らに失敗の影響が及ぶことに対して殊更に敏感になるのも分からないわけではありません。しかし、失敗に対して向き合うことなしにすぐに蓋をして、水に流すような行為は彼らの顔色を伺っているだけに過ぎず、失敗から学ぶことを放棄することになります。大切なのは、失敗の影響を回避することではなく、失敗した原因を皆で考えて今後に活かすことということを忘れてはなりません。

2 初めては失敗のオンパレード

そもそも、いままでと異なったことをするときは、必然的に失敗する確率が上がります。知識があったとしてもノウハウも熟練もなされていないのでヨチヨチ歩きの子供とそう変わりません有る意味、失敗しても当然なのです。その上、違ったことをすれば叩かれる、新しいことをすれば叩かれる、関係のないことをすれば叩かれるような環境では、育つものも育つはずがありません。弱者を叩くのは簡単ですし、失敗をあげつらうことも簡単です。しかし、そのような行為は失敗に対する保身に過ぎず、失敗しないさせないでは結局誰のためにもなりません。むしろ、そういった人から失敗を許容するといった大人の枠組みが育成のためには必要なのです。

3 失敗から学ぶ方が活性化する理由

失敗から学ぶためには、その前提条件として失敗をしても免責になるという担保が必要です。七転び八起きをするためには、失敗に寛容になることが求められるのです。失敗した人でも新たなチャンスを与えられて、再起が可能になるという保障がなされていれば、安心してチャレンジできるようになりますし、何事にたいしても前向きに取り組む人ができるようになります。そもそもチャレンジして失敗した人が烙印が押された状態で、再起できない方が全体として非効率ですし、その失敗した経験は皆が学ぶ方がトータルで考えればプラスになると思います。失敗を『社会全体が支える仕組み』か『個人で支払わせる仕組み 』がどちらが有用かは皆で考える余地があります。ただ、敗者復活を認める社会は失敗から多くのことを学べることは間違いありません。

4 失敗に寛容になるために

失敗をしないさせないことを延々と続けていればどうなるかは言わずもがなです。失敗は引き受けてこそ、真の成長はあります。誰しもが持つ小心から来る失敗回避は、本質的な問題解決に繋がらないという意識が共有できれば、その場で踏みとどまり失敗から学ぶことを受け入れることができるようになります。そういったことができるようになれば声高に完璧を求め、失敗を非難するようなことはしなくなるのだと思うのです。失敗に寛容になるためには社会においてセーフティネットを用意することも大切ですが、個々人が失敗に対して許容できる器を持つことのほうが大切な気がするのは私だけでしょうか。


世の中に失敗というものはない。チャレンジしているうちは失敗はない。
あきらめた時が失敗である。
稲盛和夫

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