sadadadの読書日記

読書した本のまとめ、読後所感、考えたこと



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合理的な判断はできないと思う方が合理的になれる

合理的な判断するためには合理的に判断するに足る情報を揃えなければなりません。その情報が誤っていたり、偏っていれば合理的な判断などできませんので、殆どの場合その前提条件を揃えることができずに誤まった判断をしてしまうことが殆どです。局所的には正しい判断はできても、大局的には間違った判断が起こるのもこういったことが原因なのかもしれません。井の中の蛙の判断は大海では全く通用しません。立場、環境、時間などの様々な制限により、手に入る情報の速度や確度や濃度は常に大きなブレを含んでいることを忘れてはなりません。

予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

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1 判断するために充分な情報が与えられることは無い

ネットの発達により情報収集は楽になったかもしれませんが、それは玉石混合の数が増えただけであって、相対的に信頼できるソースの割合が下がったともいえます。中途半端な情報をかき集めて充分な情報が集まったというのは思いこみでしかありません。ほとんどの人は情報が信頼に足るのかは確認することができずに判断に至たるのです。どうしても合理性を追求するなら手元の情報を隅から隅まで調べ上げる必要があります。もちろん気が遠くなるほど時間がかかりますし、その手間自体が不合理に陥る可能性の方が高くなります。それなら考え方を変えて、どのような判断も合理性を持つことはできないと切り替えるほうが合理的です。

2 判断する人間の方が情報をえり好みする

加えて人には判断を狂わせる趣向というものを持ち合わせています。えり好みは確実に合理性を狂わせます。そのえり好みが判断に入り込む可能性を認めず、自分は合理的だと思いこみ、えり好みによるバイアスを否定する方が、逆に合理的ではありません。えり好みで判断は左右されると思っている人の方が合理的に動ける可能性があります。合理的な判断のためにはできるだけ自分を自分から切り離し、第3者の視点で物事を見るということはよく言われますが、自分のこだわりを真正面から否定されて耐えられる人はそう多くはいません。感情によるバイアスは少なくし問題を最小化することはできても、ゼロにするということはできないと考えた方が妥当性があります。

3 少しでも合理的な判断をするために考えるべきこと

少しでも判断に合理性を持たせるには何事に対しても過信しないことです。過信は思い込みにつながり、執着に走り根深い感情のバイアスを引き起こします。過信を排してすべてには限界があることを認めることができれば、すこしでも合理的な判断に近づくことができます。限界の中で最善を尽くしていく行為が、合理的な判断に近づくためには有効な手段ですが、絶対に完全な合理性は得られないということを知っておいた上での話です。井の中の蛙でも大海を認めて、自分ができることを探せばいいのです。できるだけ合理的に判断するためには非合理的な現実を認めることから始まるのです。


理性的な人間は自分自身を世界に適応させる。
非理性的な人間は世界を自分自身に適応させようと固執する。
それゆえに、すべての進歩は非理性的な人間のおかげである。
バーナード・ショー

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