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sadadadの読書日記

読書した本のまとめ、読後所感、考えたこと



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怒らずに叱る、甘やかさずに褒める教育法

人の成長の基本は正確に評価がなされることが前提です。考えるべきは、「いつ」、「どこで」、「なにを」適切に評価することなのです。評価に対しては正当性が常に求められます。歪んだ評価基準では思考回路をポジティブにすることはできませんし、納得できない評価を押し付けられれば、自己評価もままならならなくなります。そうなれば自律して行動することなどなくなりますし、信頼関係は崩れます。そうならないためにも考えるべき事は、「怒らずに叱ること」、「甘やかさずに褒めること」です。

怒らない技術 (フォレスト2545新書)

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1 怒るのではなく叱る

怒れば怒られないように隠そうとする、隠し切れないなら繕おうとする、繕いきれないなら言うことを効かなくなるというスパイラルに嵌ります。怒ることでは相手を正すことはできません。しぶしぶ従ったとしても面従腹背ですから意味がありません。怒るのではなく叱るためには、心から信頼関係が築けていなければ従う気にすらなりません。なぜ叱っている理由が納得できれば叱られている側もそれに従い易くなります。理不尽に怒られ続ければ思考回路がネガティブになり、自己評価が歪み、何するにしても回りからの目が気になり自己規制し始めます。叱ることではそういった過程は踏みません。叱ることは理由を受け入れる自由が自分にあり、反省が内側に存在するからです。

2 甘やかすのではなく褒める

甘やかされればミスが多くても気にしない、ムラの多い、傲慢な人になります。失敗から学ばない、反省が見られないのでは成長はありません。甘やかされることは過剰評価に過ぎません。市場で過剰評価をすればバブルになります。人に対する評価も同じで破綻する前に正当な評価にもどさなければ取り返しの付かないことになります。甘やかされること自体は誰にとってもはうれしいことですが、それはあくまで正当な評価の範疇を超えてはならないのです。

3 教育ができることは舵取りだけ

最近は少し減り始めましたが、またまだ怒る人、甘やかす人が幅を利かせています。「叱ること」と「褒めること」は、自動車のハンドリングとブレーキのようなものです。両方が必要であり、それには正当性が伴っていなければなりません。意味も分からずに怒っていたり、やたら甘やかしたりしてしまっては、推進力を失ってしまったり、よく分からない方向に導く恐れもあります。推進力を生み出すのは評価する側ではありません。教育や評価をする人ができることは船頭の役割だけなのです。

4 教育は成長を期待するもののために存在する

誰だって経験や知識の浅い人たちは未熟に見えます。ですので、何とかできるようにさせてやろうという心からいろいろ手をだす気持ちも分からなくもありません。しかし、そういった行動では親の理想は実現できません。指導とは恐怖や飴玉をチラつかすことではありません。教育は成長を期待するもののために存在します。成功は約束されていないかもしれませんが、成長は約束されています。成長のためには多くの失敗を必要とします。そんな失敗をする権利を奪わないようにすること、そしてその失敗から学ぶ権利を奪わないことが教育者にとって最も必要なことだと思います。


学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ。
アインシュタイン

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