sadadadの読書日記

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上手に教えるときに抑えておくべきポイント

人間生きていれば必ず「教えるとき」場面が出てきます。特に年齢を重ねれば重ねるほど経験や知識は増えていきますので教えることができることが増えてきます。それらを教える機会があるかないかだけの話なのです。しかし、教えるということは案外難しいものなのです。知っている→理解している→使える→教えられるの順でレベルは上がっていきますので、余程教えることに慣れた人でなければ、『上手に』教えることは出来ません。

「教える技術」の鍛え方―人も自分も成長できる

「教える技術」の鍛え方―人も自分も成長できる

1 教育においては教える側が輝いてはならない

教えることが上手というと一般的には手取り足取り、上げ膳据え膳でやってくれる人を想像しますが、そのような人は実はあまり教えることが上手な人ではありません。この問題はこのように考えて、この解法を使って、このように解きなさいといった手法はあくまでも絵に描いた餅でしかないのです。というのは、いくら手本が立派でも、実際にその問題に取り組むのは教えられている本人であるからです。そのような絵に描いた餅が毎回同じ形をしていればいいですが、現実はそうではありません。教育というと教える側が教鞭をとり、労力と時間をかけて育てるといった『思い込み』でしかありません。教える側が能動的になり、教わる側が受動的になってしまっては口を空けてエサを待つばかりで、獲物を取りにいくという発想や能力は身につくはずがないのです。教育においては教える側が輝いてはならないのです。

2 真に教えることが上手な人を見てみると無理に教えようとはしない

教えることが上手な人は外からみると何もしていないように見えます。教えられている人が問題を前にして悪戦苦闘しているにもかかわらず、手を出さないでひたすら傍で見ているのです。理不尽に見えるかもしれませんが、教えることが上手な人は必要性が出てくるまで教えないのです。悪戦苦闘から答えを導き出す過程こそが本人にとって一番重要なことであり、そこを『教えて』しまっては意味がないと知っているからです。たとえ正解を強制したとしても見ていないところで必ず手を抜きますし、なにしろ長期間に渡って『続き』ません。見張るばかりでは、見ているほうも見られているほうも疲れてしまいます。考えるべきは間違えないように『見張る』のではなく、間違えてもいいように『見守る』ことです。

3 教育とは過程を支えること

解答に近づけば進捗を的確に褒める。後退りしても、放り投げたとしても決して怒らず、再び取り組むように促します。ようは、与えられたことをこなすのではなく、自ら選択して取り組んだ結果を評価して、自分で得た経験を蓄積させていくことを重要視しているのです。教えることが上手な人は、過程を支えることしかできないことを知っています。導びくこととは引っ張ることでなく、自ら歩ませることであることを知っています。教育にとって何より重要なのは自分で歩くという自律した「習慣付け」なのです。一旦、習慣ができた人は、放っておいても自ら取り組み、試行錯誤を繰り返し、成長軌道に乗っていきます。本当に見守るだけで良くなるのです。


平凡な教師は言って聞かせる。
よい教師は説明する。
優秀な教師はやってみせる。
しかし最高の教師は子どもの心に火をつける。
ウィリアム・ウォード

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